人生最大のてよ パート2

振られたらしいですよ。ぼく。

ぼくとずっと一緒にいることは考えられないらしいです。一体3日で僕の何がわかったんだろう。僕は変わってしまったのだろうか。いや、そんなことはない!だって僕はいつだって僕に正直で僕に誠実!いや、他者に対して非誠実なのかも。僕は僕を好きな人と付き合って失敗して、僕は僕が好きな人と付き合えて失敗した。僕は誰と付き合えば上手くいくんでふか?

運命なんて信じないね!

運命なんてものは非科学的すぎる。しかしながら、これを運命と呼ばず何を運命と呼ぶ?

私のぐちぐちした(悲観的ではないお気に入りのところ)部分をそのまま言葉にしても、違和感なく聞いたりしてくれる。ぼく自身もきみが何を言っているかとか何を言いたいとか分かる(気がする)。まあ、これは普段の人間観察の賜物なのだろうし、ぼくに似てるけど、分からなくて、絶対にぼくでない。わたしがわたしでいることが可能。それは、「てよ」や「すし」とか「うむ。emotion!」とか無いかもしれない世界、というかいらない世界。いやいや、「うむ。emotion!」はいります。

その人のプロフィール欄には「トーキョーディスコミュージック ベロシマリミックスを知ってます!」なんて言ってなかった!それから、パウルクレーを知っているのに、わたしにパウルクレーの話をしなかった!

あとは、2人しかいなかったら2人の世界って言ってくれたの嬉しかった。わたしも2人以外いらないって真剣に思う。その理由の説明も一発だった!(もう1人を認識することに100%重きを置きたい)

映画は、一緒に見たくないって思いっきり言ってみた。見れないし、集中できないし。でも、いいって、隣に座ってもいないみたいなもんだって。だから、別にいてもいなくてもいいし、それだったらいる方がいいし、いるんだって。

たくさん話したけど、全く話してない気分になるような気がする。一旦落ち着きたい。好きかどうかわからない!ただ、似てるのはわたしはいらないし!でも、研究への姿勢とか、すごくいいと思った。ぼくより優秀だよ。学振とおらなきゃわたしの未来がない!

運命ってのは奇跡と違って、そうなると決まっていることだけど、限りなく奇跡で好きになるのは限りなく運命!しかし、ぼくって人間はやっぱり非科学を信じられないから、ぼくは疑いたい!好きになるなんて、ことは、まったくもって、ない!

おこってる!めっちゃ!

正直、恋人なんて誰でもいいよ。ぼくが好きな人なら誰でも恋人にできる。まずは、夢がある人、夢を追いかける力がある人、あとは頭が良くて、最後にぼくの存在を肯定してくれる人。精神をそのままに放っておいて、肉体を気に入ってくれる人。おわり!しね!

ディスタンスは大切ってことさ

「人間関係、いつなんどきも距離感」と強く思う。例えば、この友人といると少し距離を置きたいとき(具体的には会いたくないとか話したくないとかね)に相手への言葉なしで、ただぼくの心に従って、そおろと距離を置きたい、ぼくがまた話したいと思ったら話したいし会いたい。

これは、自分勝手に見えるかもしれないけど(いや、実際に自分勝手なのだが)、実際には関係のフェードアウトなのだ。関係を切るときに「あなたとは関係を続けられません」などというのは未来へなんの利益も生まず、それこそが利己的な行動と感じる。

すなわち、言葉なしでそおろと距離を置きたいのは、都合よく関係を修復できるからというより、最大限の配慮だろう。自分勝手と感じるのは、そおろと距離を置いたのに再びコミュニケーションを取った時ではないだろうか。しかしながら、そのコミュニケーションがコミュニケーションを取りたいという願望の元にあるなら、きっと自分勝手と感じる心は埋もれる。

ここで、これまで話したのは実は前談で、ここからが本題である。

中には、その「言葉なしでそおろと距離を置けない人」が存在する。一般的には恋人などの、始まりが言葉で始まっている関係だろう。しかし、他にもあると思う。ぼくは、距離を取ろうとすこし多忙であることを伝えた上で数日間音信不通になった。実際に忙しかったし、そおろと距離を置きたいという話がなくても同じコミュニケーション頻度になったと思う。

しかし、それはぼくの不誠実な行動と受け取られた。ぼくは無視した人になったのだ。(といいつつ、使っているSNSによって更新頻度が段違いだったのでそう思われても仕方あるまいし、これにもSNSのタイプによって割かれる時間が違う、負担が違うなどの理由があるが、ここでは割愛したい。)なぜ、ぼくがぼくでそう思われているか知っているかと言えば、それはその人がぼくに直接そう送ってきたからだ。

ここで、ぼくは思ったんだ。そおろとって使えないんだ、この人にはってね。全てを言葉にして伝えてもらわないと怖いんだってね。でも、ぼくは嘘つきだし、言葉を常に疑っているし、ぼくは何も信じてないし、寂しくない。つまり、「少し距離を置きたい」と伝える必要があるコミュニケーションを取る相手だったってことだ。なんだか、疲れちゃうよね。距離置きたいって言ってんのに、「距離置きたい」とともに求められるであろう理由も述べなきゃならないわけで。そんときぼくは思ったんだ(2)。

もう、話してられないってさ。で、やめた。

ぼくはね、君がどう思ってるとかどうでもいいし、ぼくはぼくの気持ちだけでいいんだけど、ぼくが君のことを知りたいとすれば、それは何が好きで何がしたいかってことだけなんだよ。で、ぼくもその話だけがしたい。「〇〇したい!」は自身の中で要検討の上で、相手に伝える必要がある場合にのみ言いたい。例えば、さっきの例だと「全て言葉にしてほしい!」「寂しくないようにしてほしい!」とか「〇〇してほしい!」なんだよ。ぼくは、やだよ。君のために生きたことなんてない、だって君のために生まれてきた人間じゃないし。ぼくは死にたくない、君によって。

 

最近は、きっぱりやめて「〇〇したい!」って言う人とだけコミュニケーションをとることにしたよ^_^ 結構たのしいし、結構楽で、過ごしやすい。ぼくは生きてる感じがする。